日本計画行政学会「計画行政(第22巻第2号)」掲載前草稿

「行政評価」の導入による政府の経営改革

  上山信一
(マッキンゼー日本支社パートナー 行政経営フォーラム主宰)

 

はじめに

 私は大企業の経営改革を専門とする経営コンサルタントである。多国籍の経営コンサルタント企業、マッキンゼー日本支社のパートナー(共同経営者)として、自ら経営にも参画している。さて今回のテーマだが、これはこうした民間セクターでの経験と若い頃の国家公務員時代の原体験に照らした私の試案をお話したい。

 ちなみに、以下は九九年四月二一日の衆議院決算行政監視委員会において参考人として述べた意見をまとめたものである。

一、民間企業の業績評価に何を学ぶか

 政府の経営改革を論ずる前に、企業の経営改革に何を学べるか、考えてみたい。なぜならば、八〇年代以降の英米を見ると、企業の経営改革の手法が、まずは先進的な自治体に、そしてさらに中央政府hと伝播し、それが実績をあげてきたからである。このような経験に沿って、昨今では、民間企業の経営手法を極力行政の経営にも反映させていこうという「ニュー・パブリック・マネジメント理論(NPM理論)」も確立されつつある。

 さて、経営改革の原点は業績評価にある。いうまでもなく会社の実態を数字で正しく分析しないで正しい経営はできない。企業の経営改革の歴史の裏には常に業績評価の手法の進化があった、と言い切ってよい。

 さて、現在では、企業の業績評価は四つの角度から多元的に行われる。概要は図@のとおりである。企業は、社内における業績評価に加えて外からも業績評価を受けている。まず、社内の内部評価だが、ここで最も重要なのは現場レベルでの自己点検、そして改善活動である。工場であれば、不良部品を出す比率を定期的に測定し、それを下げようとする。営業部門であれば、顧客満足度を定期的に測定し、どうすればそれを上げられるかを現場の人たちがみんなで議論する。これらの活動はクオリティー・サークル(QC)活動あるいはカスタマー・サティスファクション(CS)活動と呼ばれるが、今日ではほとんどの企業がこれに類する活動をやっている。これらの手法は、「科学的経営」の手法として、戦後の米国で開発され、一九五〇年代から六〇年代にかけて日本にも広まった。

 次に重要なのが、年度あるいは半期ごとに戦略の見直しと収益のチェックをする活動である。これは経営者の仕事であり、会社全体レベルはもとより、事業部くらいの単位で定期的な見直しをしている。これらは、よくいわれるプラン・ドゥ・チェック・アクションというPDCAの流れである。いったいどれだけの資源や資金、人材を投入したか、そして実際にどれだけの事業の成長あるいは利益創出ができたかを、定期的にモニタリングするわけである。今日では、こうした手法は当たり前に見える。だが、二十数年前まで、多くの企業は月次もしくは年次の売上目標はあっても、中長期戦略を立案する習慣がなかった。「戦略計画」が一般化したのは八〇年代のことであるといってよい。

 さらに近年では、企業の経営を外部から評価するという手法が急速に発達してきた。資本市場が急成長したことともあいまって、証券アナリストや格付け機関による評価、さらにはJ・D・パウワーズのような専門機関による顧客満足度の評価など、企業の外にいる専門家が第三者の立場で複数の企業を同列に並べて批評し、格付けするという活動が一般化し始めた。

 英国においても米国においても、こうした手法が進化したのは八〇年代以降のことだが、両国においては、それを促す社会的背景があった。まず英国では、国営企業の相次ぐ民営化によって、労働者が株主になるという、資本市場のいわば大衆化が生じた。また米国では、年金基金が大量の株式投資を始めた。つまり、一般大衆のなけなしの老後の資金が資本市場に入ってくるようになった。そこで、専門家が適正な情報をわかりやすく提供するというニーズがあったわけである。

 さらに、専門家による監査だけでは不十分だという考え方が追い討ちをかけた。これがすなわち、ディスクロージャー(情報開示)であり、さらにインベスターズ・リレーションズ(IR)といわれる手法である。ディスクロージャーというのは、企業が、競合に知られると困るような情報を除き、自らの活動を広く世間に対して開示していくという考え方である。IRというのは、ディスクロージャーをさらに一歩進め、投資家に対して積極的に今後の戦略や配当方針などを訴えかけて支持を集めよう、という広報戦略である。このような手法は九〇年代以降、特に発展してきた。

 さて、以上のように、現場改善活動に始まり情報開示に至る流れは、図@の下から上への順序で、約三〇年の歴史を経て順次整備されてきた。欧米企業の多くはこうした流れに沿って動いており、制度も同様の順序で整備されてきたといえる。

 日本企業の場合はどうか。図@の下半分の内部評価については、欧米企業と比べて遜色はない。しかし、外からの評価に関しては、最近まで、かなり遅れていた。なぜならば、その必要がなかった。資金調達を主にメインバンクに依存する、間接金融依存型の経営をしていた。ところが、昨今、メインバンクシステムが崩壊し、直接金融市場に移行しつつある。すると、企業の資金調達コストは、株価の影響をもろに受けるようになる。いきおい格付け機関やアナリストからの評価を気にするようになる。だが、これはまだ最近の動きでしかない。たとえば、図@の最上段のディスクロージャーやIRにまで、まだ手が回らない企業が多い。

 さて、これを欧米企業と比べると、いかにも日本企業はだらしない、あるいは遅れているように見える。だが、このような厳しい外からの業績評価は、どこの国でも右肩上がりの経済成長のなかでは、あまり必要ではなかった。それが崩壊すると必要になるというだけのことで、日本にもついにそういう時期がきただけ、と見るべきだろう。

二、わが国の政府経営の評価

 さて、政府の経営のチェックについても、英米においては同様の足取りをたどって整備されてきている。先行するのはいつも先進自治体である。そして、九〇年代以降は、英米とも中央政府レベルでさきほどの四つのチェックの仕組みすべてが急速に整備されつつある。

●米国の連邦政府の業績評価

 実は、連邦政府の非効率には、政府も国民の多くも匙を投げていた。日本の行革の歴史もそうだが、何度も提言が出され、その都度、正論が通るものの、実態はほとんど変わらなかった。ところが、九三年のクリントン政権になってからは、ゴア副大統領を中心に、企業に習った現場改善活動が始まった。これは National Performance Review運動と呼ばれるもので、現場レベルでの改革チーム(Innovation Laboratories )を設け、現場の事務処理の時間短縮や国民を顧客と定義し、顧客の満足度を上げるためのサービス基準を設定したりしている。また、九三年に政府業績評価法(Government Performance and Results Act )を制定し、政府が行うすべての業務について、それが顧客である国民にとって具体的にどれだけの成果(アウトカム)を生んでいるのかを点検して発表させ、それを今後の予算編成にリンクさせていく、という仕組みができあがった。

 外部評価は、これよりも先に制度が強化されている。従来から、会計検査院( Government Ac-

counting Office ) が政策の妥当性にまで踏み込んだ評価をしていた。加えて、各省庁にInspector General という役割の担当官が置かれ、管理会計が正しく運用されているかどうかをチェックする機能が強化された。

 ディスクロージャーは、もともと情報公開法によって担保されている。

 なお、英国についても、四つの切り口からの評価がすでに制度化されている。

●わが国政府における評価

 翻って、わが国の現状について考えてみよう。

 まず国レベルだが、現場改善活動に関してはほとんど何も着手されていない。ごくまれに、出先や研究機関で現場レベルでの顧客ニーズの測定やTQCのような改善活動がある程度。制度も運動もまったく何もない。戦略計画システムについては、公共事業などに中期計画はあるものの、ほとんどの施策は単年度予算に沿って、毎年、前例踏襲を繰り返すのみである。二、三年かけて何かを成し遂げる、あるいは変革するというような改革プログラムのアプローチ自体が、現行の単年度予算の制度になかなかなじみにくい。

 外部評価も脆弱である。会計検査院の業務は、単なる出納チェックから、最近は効果・効率のチェックにまで進化しつつはある。だが、検査官の陣容は薄い。また各省庁の業務に精通していないために、なかなか米国のGAOのような迫力のある検査はできない。

 情報開示については、最近やっと情報公開法が成立した程度で、あとはパブリック・コメント制度(政策立案の過程で広く国民の意見を求めるもの)を通産省などがほそぼそとやっている程度でしかない。

 一方、自治体レベルでは、取組みにばらつきはあるが、先進的な自治体では内部評価について最近、進展が見られる。たとえば、静岡県は各課、各係レベルで業務の棚卸し作業をやり、それに基づき機構改革や、「ひとり一改善活動」といったような、いわば企業がよくやるQC(クオリティ・サークル)活動を展開している。三重県も事務事業評価システムを導入し、職員の自己点検を出発点に無駄な予算や無駄な仕事の見直し活動を始めている。

 戦略計画システムについても、一部の自治体は意欲的である。たとえば、兵庫県、青森県などは、米国オレゴン州のベンチマーキングシステムなどを参考に、わが県の将来のあるべき姿を数十の指標で表し、それにリンクさせて総合計画の見直しをやろうという試みに着手している。

 外からの評価に関しても、自治体のほうが進んでいる。従来からの監査委員制度に加えて、本年度からは外部監査制度が導入されたし、情報公開については条例レベルで国より先行している自治体が数多い。

 以上のように、わが国でも、中央政府よりは自治体のほうが先行している。しかし、わが国の場合、比較的スムーズに民間企業の手法を導入できた英米の政府に比べると、今後の展開に向けては、次のような問題点があげられる。

 @法令遵守および予算消化の発想があまりにも強固である。官尊民卑の伝統ともあいまって、「顧客である国民(納税者)の満足度を上げる」とか「目標を立ててその成果の達成度合いを評価する」という発想がそもそも薄い。

 A関係者すべてが、改革というのは制度や法律、あるいはルールを変えることだと思い込んでいる。改革はまずは、現場改善活動からだという、企業では当たり前の発想が根本から欠落している。つまり、行政マンも外部の学者も改革だというと、みんなで「制度」いじりを始めてしまう。そして、観念論で疲れ果てて、答申だけ出して終わり、ということになる。

 Bさらに、戦略計画システムを立てたり外部評価をやろうとしても、現場の実態を正しく把握するすべがない。現場の第一線の職員が現場改善活動をやっていれば、その戦略立案のテーマが出てきたり、外部の専門家が評価に使えるデータが見つかったりする。ところが、現状ではこうした「生データ」が乏しい。そのために、決められた外部評価はいきおい、手続きどおり仕事をしているか、あるいは立てた予算を正しく執行しているか、といったありきたりの評価の域を超えない。

 C外部評価をする人材に乏しい。終身雇用制のもとでは、官庁業務に精通した人材はすべからく終生を当該官庁にささげて生きていく。官庁内部での経験のある人材がなかなか外からチェックする側に回りにくい。会計士や弁護士なども、専門技術的な評価はできるが、経営そのものが正しく行われているか、といったような全体的な評価をするだけの力量を備えていない。

 D本来、受益者であるはずの国民や納税者も、行政に対して注文をつけるという習慣が薄く、世論がそもそも行政の経営をチェックしようという動きに乏しい。たまにあっても、スキャンダルの告発や食糧品問題に代表されるような、公務員の倫理の問題に矮小化されがちである。投入した税金の妥当性を論じたり、税金のもとで養っている公務員をいかに動機付けて「よりよいサービスをより安く」提供させるか、といった経営戦略的な問題意識がなかなか広まらない。

三、なぜ行政評価が有効なのか

 さて、以上のような現状の打破に向けて、具体的にどこから手をつけるべきか。私は「行政評価」の導入がまず先決だと考えている。行政評価というのは、行政の各施策について、具体的に顧客は誰か、その顧客に対してその満足度を上げるために何をすべきか、そして実際にどこまで達成できたか、またもっとよい別の施策はないのか、といったことを定期的にチェックしていく目標管理のシステムである。実行の過程では、現場の職員も巻き込み、行政当局を主体に展開する。だが、そこから出てきた結果は、経営者である首長や閣僚、さらには納税者の代表である議員、そして一般国民に対して、広く公開(ディスクロージャー)する。

 行政評価の手法は、政策部門と執行部門では異なる。執行部門では、民間企業の工場の生産管理と同じような手法をそのまま導入すればいい。たとえば、信号機の保守管理という仕事に関して、一台当たりどれだけの人員(マン・アワー)と経費がかかったのかを定期的にモニタリングして、現場レベルでの自主的な作業改善を促すする材料を提供していく。

 政策レベルの評価に関しては、三種類の指標が必要になってくる。一つは、個々の施策に対してどれだけの予算あるいはマン・アワーを投入したかをきっちり把握すること(インプット指標)。二番目は、そのことによって具体的にどのような仕事がアウトプットされたか(アウトプット指標)。三番目に、その結果、「顧客」である住民にとってどのような成果が具体的に提供されたか(アウトカム指標)。これら三つの指標が必要となる。

 さて、私は、国の行政改革を進めるうえで最も重要なことは、政策部門に業績評価を導入することだと考えている。

 図Aは、文部省の初等教育を例にとって、具体的な行政評価のイメージを説明したものである。この図にあるように、行政評価は施策(プログラム)毎に行う。たとえば、初等教育の場合、おそらく全部で数十のプログラムがあるだろう。そのなかのごく一部を、私なりに想定して書き出したものが図Aである。それぞれの施策毎に、ベストの実施期間は違うはずで、まずここを確認する。各プログラムの達成目標は、アウトカムとアウトプットの両方で計画立案の段階から設定する。そのために必要な費用や人員がインプットで、これも当然、計上できる。

 この図にあるのは、実行前の計画段階の棚卸し表だが、たとえば一年経ち、二年経ち、それぞれの項目について実績を測定し、この表の目標数値と比べることで達成の度合いが具体的に明らかになる。仮に、アウトカムが予想を下まわっているとする。その原因は非効率のためにアウトプットが少なかったからなのか、あるいはインプットそのものが不十分なのか、といったような議論がここから始まる。国会でいえば、文教委員会などの具体的な委員会のレベルでこうしたデータが提供されていけば、政策選択の質も大きく向上するに違いない。すなわち、行政評価を導入することにより、「何をやっているのか」。また、「改善するために仕事のやり方を変えればいいのか」。それとも、「施策そのものを変える必要があるのか」。あるいは、「予算を増やすべきか、減らすべきか」といった経営戦略上の判断が、データに基づき、より具体的にできるわけである。

 なお、行政評価はプログラムレベルで行うべきである。ポリシーレベルの評価、いわゆるPolicy Evaluation の優先度は分野にもよるが、割合、低いと見ている。たとえば、わが国の対アジア経済協力政策、といったような幅の広いテーマを評価しようと思っても、具体的なアウトカムやアウトプットの測定は難しい。どうしても、専門家の先生方とこれまたエキスパートの官僚の内輪の審議会答申になってしまいがちだ。その結果、一般国民にとっては、理解も難しく、やり方も納得のしにくいものになる。また、ポリシーレベルだと、評価のタイムスパンがどうしても長くなる。これでは、そもそも「経営の効率化のためにプラン・ドゥ・チェック・アクションのサイクルを高頻度で回していこう」という、行政改革のニーズにそぐわない。

 以上のように、私は、プログラムレベルの行政評価を提唱するわけだが、これは英語でいうPerform- ance Measurement(業績評価)のことである。政策部門に対してこれをはめることを、私は政策評価と呼んでいる。英語でいう政策評価はPolicy Evaluation であり、別物なのである。橋本行革で提唱された政策評価という言葉は、私の考え方に近いが、その中身はまだきっちりと定められていない。私は、「中央省庁の政策部門に対してプログラム毎の定期的な評価」を行い、それを議会と国民に開示していくことこそが、わが国の行政評価の出発点だと考える。

四、導入の手順と担い手

 さて、最後にプログラムレベルに行政評価を導入する手順とその担い手について述べたい。

 まず、行政評価が効力をもつためには、二つの角度からの制度化が必要である。第一は、予算査定の判断材料として不可欠だということを明確にすること。第二には、行政評価のプロセスそのものを法制化(条例化)することである。

 これはいわば「業績評価の実行とその結果の開示なしに予算をつけることはありえない」という考え方である。考えてみれば、われわれが税金を払うときには、すべての収入源そしてすべての経費を税務署に対して申告し、おまけに高額所得者の場合は、毎年、持っている資産や負債まですべて行政当局に説明している。その上、さらに税金を取るわけである。そうやって税金を集めた以上、どこでどう使い、その結果、どんな成果が得られたのかを、国民に対してきっちり説明するのは当然だろう。これがまさに、サッチャーが提唱したValue for Money(税金の払い甲斐)という考え方である。少なくとも、「国民の納税の義務」と同じだけの重みで、「行政機関の義務」として行政評価を法制化すべきなのである。

 次に、法制化したうえで、実は外部評価を誰がやるのかという問題が残る。これに関しては、私は「毒は毒をもって制する」という考え方をとりたい。すなわち、各省庁の業務に精通した三〇代後半もしくは四〇代の職員のなかから優秀な人材をヘッドハンティングして、議会直属もしくは首長(内閣)に直接所属する監査機関をつくるべきである。実作業レベルでは民間のコンサルタントや会計士も活用できるが、役所のなかで実際に仕事をしたことのない人だけが集まって外部評価は、できるものではない。官庁出身者を確保しない限り、なかなか運用しづらい。

 さらに、政策部門と執行部門を切り分けて評価するということも重要である。この切り分けをかなり徹底してやった英国の結果を見てみると、行政部門の約七割は執行部門(エージェンシー)に所属することになった。政策部門には、どうしても定性的な評価が混じり判断が難しい。したがって、できるだけそこを除外した残りは、わかりやすい形のエージェンシーに切り分けておくことが重要である。執行と政策が入り混じった、現在の霞が関あるいは都道府県の官庁の体系のままでは、なかなかすっきりした評価はしにくい。

 そして最後に訴えたいのは、執行部門にも民間企業の改善活動手法を導入しようということである。執行部門に、単に執行評価の調書を書かせるだけではだめである。現場の職員が目標を決め、それに向けて努力を重ねていく、という運動論とセットでなければ執行評価は定着しない。うまくやったところに対して表彰するとか、個人のボーナスにちょっとした差をつけるといったような、励みになるような仕組みが必要である。

 以上、民間企業の経営改革と業績評価の手法を参考に、政府の改革の手順について述べてきたが、このような考え方自体がまだわが国の行政・政治関係者の間では、すんなりと理解されるような状況にはない。どうしても、橋本行革の省庁再編に見られるような「組織いじり」や形ばかりの「エージェンシー」化あるいは「PFI」論のような輸入ものの、ツールのはめ込みに関心が集中しがちなのは困ったものである。制度あるいはツールについての議論も重要だ。だが、その前に総理や各首長は、いつ、どこで、誰が、具体的にどんなツールを駆使して、どんな手順で改革をするのか、という改革の基本戦略をはっきりと打ち出すべきである。

 

 著者紹介

上山信一(うえやま しんいち)

一九五七年生まれ。京大(法)卒、プリンストン大学修士(公共経営学)修了。運輸省、外務省を経て、八六年マッキンゼーに入り、九二年パートナーに就任。

著書に「行政評価の時代」、「行政経営の時代(九九年七月一日刊行予定)」(いずれもNTT出版)、「行政評価による地域経営戦略」(監訳、東京法令出版)などがある。

 (※本文章は執筆者原文のものです。掲載のものとは若干異なります)