「公共政策研究」2002年第2号所収論文(公共政策学会発行)

行政評価の本質と「科学革命」
―わが国自治体の行政評価を手掛かりに―

上山信一(米ジョージタウン大学研究教授)

(和文要約)

行政評価は、古色蒼然とした公共経営の分野に「科学革命」をもたらす画期的なイノベーションである。それは、政府の経営を19世紀以来の管理統制型から人間中心主義の自由闊達な営みへと変えていく。なぜなら、行政評価は行政の活動と成果を客観数値化し、さらに経営管理者と現場部門の間に契約関係を確立する。さらにそれを拠り所に、現場部門に意思決定の権限委譲と自律的な業務運営を委ねる。その結果、現場部門は不断の切磋琢磨を促され、イノベーションを産み出す。さらに現場部門からの業績情報のフィードバックは、経営管理者が戦略的な資源配分を行う材料となる。行政評価はこれらのメカニズムをフル回転させ、行政経営の生産性と透明性を飛躍的に高めるのである。

ところがわが国の自治体の多くは、このような行政評価の本質を洞察していない。特に、組織内への契約原理の導入や現場への権限委譲の重要性を見落としている。その結果、単に従来型の予算査定や総合計画のプロセスを計量化するだけに留まっている。しかも、多くの場合、行政評価は管理部門による現場統制の強化の手段として使われる。PDS(プラン、ドゥー、シー)のサイクルを目指すという宣言も精神訓示でしかない。

行政評価の本質は、19世紀型の官僚統制型組織を前提としては理解できない。研究者も実務家も21世紀のオープンネットワーク型組織を見据え、行政評価の前向きな意義を再認識すべきである。

(キーワード)

計数の共通言語化、契約原理、権限委譲、自律経営、オープンネットワーク型組織

(本文)

はじめに

1. 行政評価の本質と革新性

2. わが国の自治体行政評価の問題点

3. バージョンアップに向けて

●はじめに

わが国の行政評価は、暗い。予算の無駄使いや行政官僚の失態を見つけ是正するという取り締まりの発想に立っている。だが、本来の行政評価は19世紀以来続いてきた統制型官僚組織を21世紀型のオープンネットワーク型組織に進化させる画期的な手段である。現に米国の行政評価(Performance Measurement)は「成果志向の行政経営」(Managing for Results)という大きな業務改善運動の中核推進ツールに位置付けられてきた。行政評価(Performance Measurement)は、手続き・プロセス優先の従来の官僚組織文化に正面から挑戦する。そして現場部門が変転する環境に臨機応変に対応できる成果主義の経営スタイルを作る革新運動なのである。

ところが、わが国ではこの基本精神が忘れられている。管理部門の予算査定ツールに矮小化されたり、現場職員による一過性の意識改革運動に終わったり、あるいは科学的データに基づき政策の正しさを分析するという政策評価(Policy Evaluation)の技法と混同されている(但し技法としての「政策評価」や「政策分析」が重要であることは、言うまでもない)。本稿では、特に中央省庁よりも早くから導入が進められてきた自治体の行政評価を題材に、わが国の行政評価の本質を見直してみたい。

ちなみに、本稿では筆者の過去5年間の実体験に基づく独自の考察を紹介したい。筆者はこれまでに9つの行政機関の顧問や経営改革の各種委員を務めてきた。そこから得た知見は、わが国の行政評価に関する多くの論考とは基点が異なる。わが国では、行政評価は新たな行政管理ツールと捉えられがちである。実務家の多くがそうだし、研究論文はほとんど全てがそうである。しかし、それでは世界中の実務家を、あそこまで魅了する行政評価の本質が説明できない。なぜ、行政評価はあそこまで愛されるのか。ロゴスの理解だけではなく、パトスの洞察も必要だ。

そこで本稿では、筆者個人の実体験を根拠に新たな行政評価論を語りたい。執筆にあたっては、トーマス・クーンの「科学革命の構造」(みすず書房、原著出版1962年)に、大いに啓発された。「科学革命」とは、天動説から地動説への転換、あるいは量子力学の出現など科学技術の分野における大転換のことを言う。科学革命は、社会科学にもある。例えば、その意義はともかく、マルクス・レーニン主義は歴史を動かした代表例だろう。行政評価は、世界的なブームだ。これは公共経営の分野において、クーンのいう「科学革命」の始まりを示唆するのではないか。筆者は、少なくとも行政評価は19世紀以来続いた行政の官僚組織論の前提を覆し、21世紀のオープンネットワーク型組織を前提とした公共サービスの経営論を導き出す鍵だと見ている。

ところでクーンは「パラダイム」というキーワードで有名だが、これは新たな科学革命の認識を支える思考の枠組みのことを指す。公共経営の分野でもすでにパラダイム転換の必要性が語られている。近代官僚制の限界、代議制民主主義の限界などがその典型だ。こうした問題を解く為のパラダイム転換は、社会科学の大きな課題である。そしてそれと同時に「科学革命」が必要なのである。行政評価は、おそらくこのような科学革命の中核を担う。であるが故に、人々の期待を集めるのである。

ちなみに、クーンはこう言う。「「通常科学」は、基本的な革新を抑圧することが多い。なぜなら、革新的な考えは「通常科学」の基本的前提を覆すものだからである」。ここでいう「通常科学」とは、まさに筆者が(そして読者の皆さんが)、学生時代以来親しんできた経営学と行政学のことではないか。既存の行政学や経営学の蓄積を前提としていては、おそらく科学革命としての行政評価の革新性は正しく捉えきれない。従って、筆者は、本稿の執筆にあたり、内外の一切の研究論文(もちろん筆者自身の著書、論文を含む)の蓄積を敢えて全て捨ててみることにした。その上で「科学革命」としての行政評価を新たに論じてみたい。本稿は、おそらく筆者にとっては、これから始まる長い試行錯誤の出発点になるだろう。だが、同時に筆者の問題提起が実務家と研究者の新たな思考の跳躍を促すことになれば幸いである。

 

1.行政評価の本質と革新性

筆者は、行政評価とはデータ解析によって、政府が自らの経営の質と効率を持続的にあげていくための経営手法と考える。導入の目的は、政府の経営の生産性(Productivity)の向上と説明責任(Accountability)の達成である。

行政評価は、どのようにして威力を発揮するのか。第1には計数の共通言語化によって、第2には契約原理の導入によって、そして第3には、権限を委譲された現場部門の自律運営化によってである。行政評価は単なる行政管理ツールのではない。その導入は、経営のメカニズムの大転換である。コンピュータに例えればOS(オペレーティングシステム、Windows2000などのことをいう)を取り替えることである。エクセルやワードなどのアプリケーションソフトと捉えると失敗する。個人事業の法人化、あるいは手堀り人海戦術の地下鉄工事にシールドマシーンを入れるようなものといえば意が伝わるだろうか。以下では、行政評価の真価をマシーンに例えて解説したい。そして、その上で行政評価の本質と革新性の議論に戻ろう。

 

1.1. 行政評価をマシ―ンモデルで捉える

1.1.1. 行政評価の3要素

行政評価は単に行政活動を測定、評価するという作業にとどまらない。仕事のやり方そのものに経済合理性を入れていくフォーマットの大転換である。大転換は3つの要素で引き起こされる。まずはじめは、今まで数値で捉えられなかった行政活動とその成果を計数で捉え、それを組織運営の共通言語にする。2番目には組織の中に契約原理を埋め込んでいく。これによって生産性の向上努力とアカウンタビリティーが確保される。さらに3番目には、計数に基づく契約原理を拠り所に、現場委譲し、業務運営を自律化させていく。要は、中央統制をやめ、現場に思い切って自由にやらせる。その代わり契約に基づく成果をチェックし、信賞必罰のメリトクラシ―を貫く。行政評価では、この3段階を経て、極めて高度な生産性とアカウンタビリティーを実現していく。この間のメカニズムを以下で解説する。

(a) 計数の共通言語化

業績の計数化は、企業であれ、非営利組織であれ、経営の質を上げるうえでは必須の作業である。どのような作業でも実績数値が取れる。どんな仕事でも、必ず資金と労働力がインプットとして投入される。変換作業を経て算出(アウトプット)があり、最後にはアウトカム(成果)をもたらす。インプット、アウトプット、アウトカムがある限り、業務や事業は、必ず定量化できる。なかには、芸術や学術のようにサービスや商品の価値を数値や価格で測定しにくいものがある。だが、行政評価の関心事は、サービスや商品(プロダクト)の絶対価値の評価ではない。あくまで仕事(プロセス)の質と効率が問題であり、その限りにおいては芸術や学術も例外ではない。

行政評価は、過去からの数値トレンドや他の類似機関との比較によって改善余地を炙り出す。まず、定量化は現場職員による自主改善活動には必須だ。データは雄弁である。管理者に言われるよりも職員が自ら問題に気づくことで、改善効果は大きく向上する。さらにまた、経営管理者は現場部門から改善経過のデータを得て経営戦略を立案する。

ちなみに業務の生産性は、資本と労働の2つの要素で決まる。第1には、まず資本と労働がどこにどれだけ配分されるかということによって、そして第2には配分された資本と労働がどれだけの付加価値を生み出したかということで決まる。誤った資源配分のもとでは、いくら現場部門が努力しても生産性改善の余地は乏しい。従って戦略経営による適性資源配分が要になるが、それは実は現場からの正しい情報によって初めて成り立つ。目標管理と戦略経営は、この点において車の両輪といえる。ちなみに、この車の両輪をうまく回転させ製造業の生産性を飛躍的に高めたのが、戦後の日本企業だ。米国の行政評価の専門家は、しばしば「米国の行政評価は戦後日本の企業の生産管理やTQCの成功の蓄積の上にある」というが、背景には、このような歴史がある。

(b)契約原理の導入

さらに、生産性をとことんあげていくためには、経営者と現場職員の間で明確な契約関係に基づく目標と報償の設定が必要だ。なぜなら人は性善なるも怠惰な存在である。また、経営者の方も、現場との交渉を経ずして適正な資源配分はなし得ない。相互に対等な契約関係を築く必要がある。

具体的には、経営者と現場部門は戦略計画の策定段階と事後の評価の両方の段階で業績数値(Performance Data)に基づく対話をする。実績値が目標値を下回っても、それだけでは契約不履行とは言えない。業績評価には数値測定に加え、いくつかの作業が必要だ。まず現場部門の自己分析が必要だ。経営管理者も同じデータをみて分析をする。お互いの見解を出し合い、対話の中から納得のいく業績評価が確定する。

 契約原理の導入は、組織の行動様式を予算獲得至上主義から戦略目的達成主義に変える。従来の行政文化では、予算の獲得が一大事であり、現にその多寡が政策の正当性や部門の成功の証しと考えられた。ところが、戦略目的の達成が数値目標とともに契約事項となると、目標達成に向けた努力が予算獲得よりも先行する。事前統制から結果管理へと統制のあり方も変化する。これはアリゾナ州などの成果ベースのプログラム予算制度の導入過程で観察された現象である。

(c)現場の自律運営化

現在の官僚制は、専門職員に権限を委譲しつつも、選挙で選ばれた議員と首長が最終的に意思決定を担うという仕組みの上に成り立つ。であるが故に、税と密接につながる予算案は議会の審議を経たものでなければならない。また現場部門は、自らの裁量で臨機応変に歳費を支出することもできない。政策と執行は、少なくとも建前のうえではきっちり分離されており、企業に比べると現場裁量の余地は乏しい。これらの仕組みは、住民に選ばれた政治家に最終判断権を与えるものであり、デモクラシーのもとでの官僚統制の基本である。

しかし、こうした官僚を統制する仕組みは、現場部門の生産性という見地からは、様々な非効率をもたらす。例えば、目の前の住民のニーズから明らかに逸脱した時代遅れの制度であっても、規則でそう定められている限り、そのとおり執行しなければならない。あるいは、ちょっとした運用手続きでも会計制度がボトルネックで動かせない。

さらに政策は議会や"本庁"で立案するものという前提が崩れつつある。昨今では、直接的に業務を執行する立場にある現場部門が最も旬の質の高い情報を持っている。イノベーションは、官僚組織のトップからではなくむしろ現場の最前線から生まれる。本庁組織の事務官僚よりも保健婦(保健士)や土木技官(技師)などのストリートレベルの技術官僚に情報やノウハウが集中蓄積されている。政策と執行の区分や計画部門と実施部門の分業という官僚制の一般原理が馴染まなくなってきた。

また行政の手続きに関することは、何でも議会にかけて審議し、法律にし、予算化するというプロセスが問題だ。時間がかかりすぎ、非効率である。個々の現場部門に権限を分散委譲し、執行だけでなく政策立案をも任せ、現場部門の責任で即断即決できる仕組みを作る必要がある。

しかし、その際には現場部門に任せても大丈夫だという根拠、つまり正統性が問われる。現場の官僚は選挙で選ばれるわけではない。正統性と言う意味では不安が残る。そこで、機能するのが行政評価である。行政評価は、経営管理者と現場部門の間の数字に基づく契約であり、責任の所在がはっきりする。しかも目標と達成状況が情報公開されるとなると透明性は一気に高まる。また、行政評価が契約であれば、仮に当初の目論見どおりにいかなかった場合でも、いつ、どこに原因があったか、誰の責任かを追跡調査できる。このように行政評価は、計数による共通言語化と契約原理の導入を経て、現場部門に自律運営のチャンスと新たな責任を賦与するのである。

1.1.2. 行政評価を支える3つのサブシステム

さて、このような3つの要素から構成される行政評価は、それだけを単独で導入してもさほど威力を発揮しない。行政評価は以下の3つのサブシステムとセットで導入する必要がある。第1には現場部門における「目標管理(Management by Objectives)」である。これは日常業務の改善活動に使う。現場職員が実績を自ら測定し、改善課題を整理、自ら次の行動課題を設定する。いわゆるPDS(プラン、ドゥー、シー)のサイクルを現場が実践する。第2には、経営管理者(自治体の場合は首長か局長クラス)レベルでの「戦略経営(Strategic Management)」である。これは政策立案や予算人員などの資源配分に活用する。これは、いわゆる総合計画とは異なる。戦略経営とは、何をやるか(WHAT)ではなく、むしろ目指す方向に向かっていかにやるか(HOW)というイノベーションの体系のことを指す。決められたことを決められたプロセスとおりやるのは「戦略経営」ではない。いかにイノベーティブにやるか、がその本質である。第3は議員と住民が行う「政府監視(Performance Review)」である。これは行政の外の視点からの問題提起と監視である。

以上3つのサブシステムは、まずそれぞれが個々に各層の仕事の質と効率を上げる。さらに3つのサブシステムは、数字を媒介に連携し、よりいっそう高度な経営効率をもたらす。

ところで、3つのサブシステムの出発点は、現場部門の目標管理である。そこから紡ぎだされた情報が戦略計画に反映され、政策の変更、資源配分のメリハリ付け、そしてイノベーションを生む。これが戦略経営である。その様子は定期的に情報開示され、政府監視が成立する。このように3つのサブシステムは連動しており、表裏一体の関係にある。それを媒介するための共通言語は計数であり、評価指標である。3つのサブシステムはまた、契約原理で結びつけられる。

1.2行政評価の革新性

さて、以上でマシーンとしての行政評価が、@計数による共通言語化、A契約原理の導入、B現場の自律運営化の3つの要素から構成され、さらに現場、経営管理者、住民&議会が使う3つのサブシステム(目標管理、戦略経営、政府監視)によってその真価を発揮する存在だということを解説した。次の考察対象は、このマシーンの革新性である。そして、いったい行政評価のどこが公共経営のパラダイム転換を伴う「科学革命」なのかということを考えたい。

1.2.1管理から経営へ

革新性の第1は、行政を「管理」の対象から「経営」の対象へと変える点である。行政組織は、実は今まで政治のコントロールのもとに外界には閉じた組織として運用されてきた。行政評価は、そこに経済原則を埋め込む。経済原則とは、ものごとの価値や判断の拠り所を計量化し、さらに市場取引とそこに生まれる競争の結果によってその正当性を確認する原理のことである。つまり、単に外注化したり、サービスの提供を全て市場に委ねるという意味ではない。経済原則によって、行政は「管理」の対象から「経営」の対象に変わる。「管理」とは、現状の組織の営みを維持する組織統制のための努力である。一方、「経営」とは未来の外部環境、つまり組織の置かれた市場の環境を想定し、そこから逆算して組織としての次の手段を組織外部との関係の中で構築していく営みである。公共セクターにおける経済原則は、先ほどの行政評価の3要素によって持ち込まれる。即ち、計数に基づく契約が経営管理者と現場部門をつなぎ、さらに経営管理者と住民&議会をつなぐ。これらがさらに3つのサブシステムをつなぎ、相互に連動させる。硬直化した官僚組織をゆさぶり弾力化し、組織の目を外に向けさせる。そして「管理」を「経営」に転換させる。

経済原則が働くためには、誰の目にも明らかな計数的なものさしが必要だ。昔からのものさしの典型が予算である。行政評価は、新たなものさし、すなわちインプット、アウトプット、アウトカムに代表される一連の評価指標群をもたらす。これらの評価指標群は、組織内で取引通貨の役割を果たす。そして契約を成立させる。

さて、経営管理は、戦略計画(Strategic Planning)とそれに基づく業績評価を基軸に現場部門の業績評価と計画、予算の進捗管理をする。現場部門は行政評価の結果(評価指標の数値)を示し、努力の過程と結果をアピールする。経営管理者は得た情報を政策判断や利害調整、さらに予算編成や人事に活用する。また、経営者は業績評価の結果を議会と住民に定期的に報告する(米国連邦政府各省庁やニューヨーク市役所がその典型例)。

このように業績評価の情報は評価指標を介し、現場部門から経営管理者を経て、住民&議会のもとにまで到達する。もちろん、現場の目標管理、経営管理者の戦略計画、そして住民&議会による政府監視で実際に使われる指標は、同じものではない。各層の関心事も違う。だが行政評価をきっかけに現場部門と議会&住民が曲がりなりにもつながり、一気通貫のコミュニケーションの流れが意識されるようになる。

この意味において行政評価は、単に業績を数値で測定し、改善に活かすという伝統的な科学的管理法を大きく凌駕する。伝統的な科学的管理法は、現場部門の目標管理でしかなく、戦略経営や政府監視へのリンクを想定しない。また、行政評価は「政策評価(policy evaluation) 」とも異なる。政策評価は、政策の成果を数値で測定し、それに基づき科学的な手法で政策立案をする技法である。これは、経営者の意思決定に科学的管理の考え方をいれていこうという試みであり意義は大きい。しかし、行政評価を大きくマシ―ンと捉える視点からするとサブシステムのひとつである戦略経営を構成する一部品に相当するものでしかない。

1.2.2財政膨張の抑止

行政評価の革新性の第2点目は、民主主義のもとでの財政膨張を抑止するという点である。行政評価は、情報公開によって行政の生の姿を赤裸々に映し出す。これができると、第1に行政機関と利益団体、政治家との密室協議や族議員の干渉を抑止できる。第2に行政評価は、事業の廃止、補助金の削減などの作業に合理的な根拠を与える。民主主義の政治プロセスでは事業の廃止や縮小など、いわゆるマイナスの利益配分は政治主導ではなかなか決められない。獲得予算の多寡が成功の証(あかし)とされる官僚組織もまた同様である。財政部門を除けば、議会にも官僚組織にも事業の廃止を促す仕組みがビルトインされていない。だが個別事業についての行政評価の結果を公開することによって、このような利害関係が断ち切りやすくなる。

1.2.3 擬似競争原理

行政評価の革新性の第3は、直接競争関係にない機関同士でも業績指標が公開されれば、企業間の競争に似た擬似競争原理が働くという点である。市場経済においては、競争がイノベーションの母であることは、言うまでもない。しかし、行政サービスには病院や文化施設、都市交通など一部の例外を除けば競争がない。仮にあっても制度もしくは予算のうえでも優遇されている。また行政は、民間企業が提供できないサービスを担うだけに、その問題に関し地域、国家、あるいは国際社会における唯一の独占供給体である場合が多い。行政評価は、このような無競争の分野に擬似的ではあるが競争原理を持ち込む。

1.2.4 市場における価値の明確化

行政評価の革新性の第4は、経済計算を通じて行政サービスの市場における価値を明らかにする点である。行政評価で出される数値は、市場での金銭価値に換算されるものばかりではない。しかし、例えば図書館の本を1冊貸し出すのにかかる実質コスト(Activity-based costingによる)が3,000円だったといった業績数値が公開されると、議員や住民にとっては判断材料となる。3,000円が本の市場価格と比べ、また納税額との比較において、相対比較ではあるが曲がりなりにも市場経済の文脈で評価される。

行政評価による行政サービスの市場価値の評価は、民間企業の市場での取引にまつわる審判(市場の見えざる手による審判)に比べれば、やや乱暴で恣意判断のリスクを免れない。だが戦略よりも個別の利益調整が優先されがちな現行システムに比べれば、はるかに透明性と合理性は高い。

 以上4点が行政評価の革新性である。総括すれば,行政評価は巨大化した行政組織内に経済原則と契約原理を導入し、外部環境と将来に目を向けさせる。そして現場部門に自律的な経営マインドを植え付ける。自律経営の正統性を担保するためには、評価結果の情報公開が徹底される。同時に、それを通じて議会や住民(国民)との対話と政府の監視がなされるのである。このように、行政評価は、19世紀以来の統制型官僚制と代議制民主主義の限界を補填する。行政評価は、また情報公開など他の制度とあいまって、国民(住民)と市場経済が公的サービスをいかに再構築するかという根本課題に対するヒントを提供してくれる。この意味において、筆者は、行政評価と情報公開は、21世紀における公共経営の「科学革命」をリードする2大テーマだと考えるのである。

 

2.わが国の自治体行政評価の問題点

さて、以上がもともと欧米の風土で培われてきた行政評価の本質である。次は、わが国自治体の行政評価を分析してみよう。いかなる社会制度もその社会、風土、歴史から離れた評価は存在しえない。また、わが国の行政評価が欧米と全く同じものでなければならない理由はない。また、わが国の行政評価の歴史は、わずか5年程度でしかない。評価は尚早かもしれない。しかし、導入初期の混乱は脱した。先ほどのマシーンモデルと比較しつつ、実績と課題を整理したい。

2.1 自治体行政評価の実態

いうまでもなく各自治体それぞれの行政評価の導入状況と手法は異なる。しかし割合早くから熱心に導入してきた自治体の姿は、割合似通っている。これら先進自治体の行政評価の平均的な姿は次のようなものだろう。

@事務事業評価、もしくは業務棚卸の手法を導入し、現場の各部門が自らの仕事や予算の使い方の点検活動をしている

A総合計画にも評価の視点を入れるべく、計画の各項目に数値目標や現状値が掲げられている。

B予算の査定にあたっては、@Aの評価結果を反映させるという方針が決められている。現に評価の結果、無駄とされた事業の廃止や予算の減額が起きた。

C評価結果は、住民に情報公開されている

これらの先進自治体の行政評価は、しばしばマスコミからの賞賛を得ている。だが、マシーンモデルに比べるとまだまだかなり限定的な機能しか発揮していない。マシ―ン以前の部品の組み合わせでしかない。行政評価の3要素のうち計数の共通言語化はある程度できている。だが、契約原理の導入や現場の自律運営は意識されていない。目標管理、戦略経営、政府監視の3つのサブシステムについては、そもそも行政評価の付随物として明確に意識されていない。

2.1.1 自治体行政評価における行政評価の3要素

まず第1に計数化による共通言語化だが、これはまずまずの成果だ。事務事業評価や業務棚卸は組織全体に網羅的に適用される。そのため、共通言語として計数を使う習慣が一気に広がりつつある。予算の査定にはもちろん、各種事業計画にも評価指標を使う習慣が着実に根付きつつある。

しかし現場から出てきた計数は、現場限りでの業務の見直しや予算査定による事業の廃止に使われるだけで戦略経営には活かされない。わが国自治体に戦略経営があるのか、という疑問はいったん横に置いたとしてもこれは問題だ。

多くの自治体が取り組む事務事業評価から出てくる指標は、事務や事業という行政活動の末端の活動単位に付随して出てくる。であるが故に具体的である。だが、そもそも事務や事業は、予算を見直す都合上から旧来の行政組織にとって非常にわかりやすい評価単位として設定されたものである。本来の事業戦略や政策課題は反映し切れない。   

第2の契約原理はそもそもあまり見当たらない。事務事業評価も総合計画も、達成状況を「評価する」ということを掲げる。だが誰が誰を評価するのか、また実施責任が誰にあるのかは明記されない。また、達成目標について経営管理者や住民&議会との明確な合意があるわけでもなく、達成状況について議論するわけでもない。契約原理が成立しているとは、到底いえない。  

第3の現場部門の運営の自律化については、そもそも行政評価とこれをセットで理解する向きはほぼ皆無に近い。必要性についての認識がそもそも薄い。それどころか行政評価を契機とし、かえって旧来型の管理強化が起きている。運営の自律化の目的は、行政評価の結果の公開を条件に現場部門に予算や権限の弾力的な運用を委ね、全体として意思決定の質と執行効率を上げるという点にある。ところがわが国の自治体では、管理部門が行政評価を梃子に現場部門を厳しく管理することを期待されがちである。各地の首長の議会答弁にもこの趣旨の発言が数多く見られる。これは、おそらく日本語の「評価」という言葉が与える語感にもよる。「評価」という言葉は、上位者か権威者が下々の営みをチェックをするという語意を持つ。ところがもともと行政評価は、英語では単に"Performance Measurement(業績測定)"と称される。これを「行政評価」と訳してしまった。筆者も実は、拙著「「行政評価」の時代」(NTT出版、1998年)の標題にしてしまった。だが、わかりやすい名称ではあった。やがて「評価」という言葉が、伝統的な上意下達の官僚文化にすっぽりはまり込んでしまった。

以上見てきたように、行政評価は、そもそも自治体における新しい行政運営の仕組みとして捉えられていない。伝統的な上位下達の管理システムの強化でしかなく、本来の行政評価が持つ可能性をあまり引き出せていない。あるいは、行政評価は、予算の査定、無駄な事務事業の見直しなど既存の行政管理手法の付属物と考えられている。

2.1.2 3つのサブシステムの実態

さて、日本の自治体行政評価を支える3つのサブシステムはあるのか。また行政評価とそれらはどう連動するのか。

目標管理は、いちおう存在する。特に事務事業評価や業務棚卸は、現場職員に自ら目標を立て進捗チェックし、次への行動を組み立て直す習慣を植え付けている。そしてPDS(プラン―ドゥーーアクション―シー)のサイクルを実現すると明記するところがほとんどだ。しかし本当の意味での目標管理になっているかというと様々だ。多くの場合、行政評価の導入を機に現場部門は経営管理者から「自ら仕事と予算の意義を見直すように」と言われる。書式が配られ、それに従った評価作業が粛々と進む。多くの場合、事務や事業の有効性や効率性を5段階評価などで「自己評価」する。そしてさらに経営管理部門のスタッフが2次評価をする。

だが、ここで行われる「評価」は目標管理ではないし、実は本当の「評価」でもない。なぜならば、目標管理では、予めいつまでにどれだけのレベルの実績を目指すつもりかという目標を予め定める。しかし、ここでの「評価」は一過性のイベントとして行われる。目標を欠いたままでの事後チェックでしかない。また本来の「評価」は正統性と合理性を帯びた基準に基づき、能力と信用のある評価者が行う。ところがここでの評価は、定性的な自己点検でしかなく、当事者の主観と気付きのみを品質の拠り所とする。もちろん、こうした活動であっても改善へのきっかけにはなる。しかしシステム化されておらず、また持続的な改善を迫るだけの迫力を欠く。

次に、戦略経営だが、結論からいえば、このサブシステムはほとんど見当たらない。もちろん、戦略がない訳ではない。しかし、とりわけ地方自治体においては、戦略性を全面に掲げた経営がそもそもやりにくい仕組み(制度)になっている。これは行政評価の導入の仕方以前の問題だ。しかし行政評価の導入を機に状況の打破にきっかけは作れる。少し、解説したい。

わが国の自治体は、総合計画を拠り所に事業を行うことになっている。しかしほとんどの場合、総合計画は総合的・網羅的に政策と事業を羅列したものでしかなく、優先順位付けの発想に乏しい。これは「総合計画にともかく登録列挙しておけば、いずれ予算が付く」というこれまでの予算編成の慣行が逆に作用してできた考え方である。従ってあらゆる要望事項は、重要度や実現可能性とは別に考えられる限り網羅的に総合計画に書かれる。しかも現場担当部局からの情報の積み上げで作る。かくして総合計画は、めりはりも戦略性もない既得権益と個別利益の羅列の確認シートになりがちである。戦略の実現よりも手段である予算獲得が重視され、そのためのショッピングリストとして総合計画が活用されるという逆転現象が起きている。

ともあれ行政評価ブームを機に、多くの自治体が総合計画に数値目標を設定するようになった。何年までにどれだけの水準を達成するかという目標が掲げられる。しかし目標は願望値でしかない。また戦略的な洞察を反映したものでもない。多くの場合、地域社会への呼びかけ、努力目標的なものである。もちろん目標値は、実態調査や現場の関連部局との協議を経て設定される。しかし、ほとんどの場合、現場の目標管理の指標や改善活動はそこには織り込まれないし連動もしない。

このように形骸化した総合計画のうえに行政評価を重ねてみても生産性は上がりにくい。契約原理や現場の自律運営も進まない。

住民や議会による政府監視はどうだろうか。総合計画は形骸化している。であるが故に、彼らが政府監視に使えるデータは現場の目標管理から出てくる情報でしかない。情報公開はされていても専門家以外には内容の解釈が困難な場合がほとんどだ。これでは行政評価を梃子としたパワフルな政府監視機能は、期待できない。

 

3.バーションアップに向けて

以上のような現状に照らし、次は今後のバージョンアップの方策を考えたい。まず、最初にベースケース、つまり現状のまま推移した場合のシナリオを考えたい。そして次に、現行制度を進化もしくはバーションアップさせる方策を考えたい。そして最後には、バージョンアップにあたっての留意点を述べたい。

3.1現状推移シナリオ

 わが国の自治体行政評価が、現状のまま推移した場合の帰結は予算編成や総合計画といった既存の管理システムへの吸収だろう。

事務事業評価がその典型だ。多くの場合、予算査定プロセスつまり予算要求調書の書式の中に封じ込められてしまうだろう。事務や事業の見直しから積み上げるという発想に立つ限り、所詮ダイナミックな進化は望めない。もちろん、事務事業評価のデータも参考にしつつ、部局の使命、顧客ニーズ、本来業務を見直し、戦略経営に活かすことができれば大きな力を発揮する。三重県庁などは、当初は事務事業評価から出発し、より上位の施策、政策レベルの評価に力点をシフトしつつある。しかし、多くの場合、いったん作った事務事業評価のモデルを進化させず、そのまま使い続ける。総合計画に付随した数値目標にも期待はできない。総合計画は、今のままでは戦略計画に進化しない。数値目標と指標のみが総合計画の進捗管理のシステムに取り込まれていくだろう。

 業務棚卸や政策マーケティング(青森県庁の方式など)はどうか。これは、既存の行政管理システムに付随しない。それが故に運用次第では戦略計画に進化し、さらに既存の行政管理のシステムそのものを変えていく可能性を秘める。例えば業務棚卸は、職員に本来の業務のあるべき姿を考えさせる。これをバージョンアップし、部門長が担当部門の使命、顧客などを見直すようにすれば戦略計画に近づく。また、政策マーケティングは住民の視点に徹して行政と政策のニーズを示す。これをやはり、部門の戦略計画にブレークダウンしていけば、戦略計画が作れる。

両者の道のりは、もちろん平坦ではない。どこから出発しようと所詮、戦略計画は既存の行政管理の文化と真っ向から対立する。だが、それが粉砕できない場合、行政評価は単に宙に浮き,つまり形骸化して終わるだろう。

3.2 レスキュー・シナリオ

 では、どうすればよいのか。方策は、各自治体が現在どのような行政評価に取り組んでいるのかということによって異なる。

3.2.1 現場担当からの積み上げカルチャーとの訣別

まず、事務事業評価や業務棚卸に取り組んでいる自治体の場合には、現行の行政評価を戦略計画にバージョンアップさせる。具体的には、何事も現場担当部門から積み上げていくという発想から訣別し、部門長レベルで戦略計画を作る。その際には、総合計画の総花的な建前は一切前提にしない。当初は、あくまで部門長の個人的私案として側近幹部と一緒に作成する。私案をさらに首長との協議にかけ、最終的には首長の私的な戦略構想として住民に提示する。これは私案でしかなく拘束力を持つものではない。しかし選挙で選ばれた首長の私案であり、議会も住民も各部門も無視するわけにはいかない。こうして、組織運営全体に揺さぶりをかけていく。

3.2.2 特定課題からの揺らぎの創出

 総合計画の進捗評価や政策マーケティングから戦略計画に進化させる方法は2つある。一つは、あえて既存の部門のどこも取り組んでいない全庁横断的でかつ住民の関心事も高い分野に照準をあて、そこだけについて首長が率先して戦略計画をつくってしまう方法である。対象分野としては、例えば滋賀県であれば「琵琶湖」問題などが考えられる。なぜなら開発と保全の調和、さらに雇用確保と観光産業の育成策など既存の縦割り部門をまたがる課題だからである。静岡県の「空港建設問題」、愛知県の「愛知万博問題」などの政治的争点もよい。価値判断を伴うテーマだけに首長主導の戦略経営手法での問題解決にふさわしい。

 もう一つの方法は、総合計画の指標や政策マーケティングから見えてきた課題の全てをいったん各部門に示す。その上で他部門の協力を得ながら全庁横断的に取り組むべき重点課題を抽出してもらう。最後にはコンペをおこない、住民ニーズと地域の将来にとっての優先順位が高い分野に別枠予算を与える。予算獲得をインセンティブに各部門に競争をさせ、そこから組織に揺らぎを作り出していく。

3.2.3 「科学革命」に向けて

さて、ここまででは既存の行政評価のバージョンアップの方策を述べた。それでは、これから新たに導入しようという組織の場合には、どうすればよいのか。慌てることはない。90年代後半のわが国の行政評価は、既存の行政管理ツールを単に計数武装化した段階に過ぎない。その程度のものなら、すぐに追いつける。いや、むしろ行政評価の本質に一気に迫って欲しい。

初めての行政評価ならば、むしろ美術館やスポーツ施設などの対市民サービス施設の評価から手をつけてはどうか。なぜなら行政評価の本質は、予算や総合計画といった全庁管理システムよりもむしろ、現場施設などの具体的な改善運動のダイナミックスの中で、より深く理解できる。まず最初には、行政評価を梃子に地域の住民と職員で改善点を洗い出す。次には、住民の協力も得て改革を進める。具体的な住民サービス業務の行政評価は即効力をもたらす。また行政評価の3要素を実現しやすい。例えば業績指標を住民との対話に使う。さらに「市民との約束」といったコンセプトをいれて擬似的な契約原理を入れる。そこから住民との相互の信頼関係を再構築する。おそらく、住民側も施設の使い方を変えたり、ボランティアによる運営協力を始めたり、いわゆる住民参画と住民自治が生まれる。規模は小さいが、これは実はデモクラシーの再構築でもある。また、このなかにこそ形骸化した統制型官僚制と議会制民主主義の次にある公的サービスの新たなガバナンスモデルが見えてくる。「神々は細部に宿る」という。おそらく行政評価による公共経営の科学革命は、意外なところからわれわれの目の前にその全貌をあらわし始めるのではなかろうか。