業界再編のメカニズム──欧州化学業界に学ぶ

日経ビジネス99.10.11号
上山信一

 

(要旨)

欧州の化学大手はこの4〜5年、経営の大転換に取り組んできた。
ヘキストは大胆なM&Aを駆使し、ライフサイエンス企業に大変身。
ヒュルスはリストラの正攻法で、収益力を大幅に改善した。
保守的な欧州企業を変えたのは、資本市場の構造変化だった。
数年後には、日本の化学業界にも再編の大津波が押し寄せるだろう。

〔以下本文〕

 多くの業界で世界規模の大型合併と合従連衝が続いている。金融はもちろん、自動車、薬品、通信、航空、石油などで、すでに多くの日本企業も渦中にある。旭硝子やブリヂストンなどは、グローバルな業界再編をリードする側にいる。日産自動車や住友ゴム工業などは海外企業の傘下に入って、したたかに生き残りを図る。

 国内のいわゆる「業界の秩序」も崩れつつある。さて、こうした「業界再編」の勝者は、各社の「企業価値」を分析すれば、ある程度、予見できる。向こう2〜3年のうちに、日本企業も「企業価値」を上げたか否かで評価されるようになる。段階的に会計制度が整備され、「企業価値」の低い会社が淘汰される。「資本市場の論理」が急速な勢いで「業界の都合」を押し流し、合理的なM&A(企業の合併・買収)や合従連衝、そして再編劇が起こる。

 どの業界でも、強力な外資企業の進出、あるいは競合の買収に打って出る企業の出現で、状況ががらりと変わる。合従連衝と業界再編はいったん始まれば、顧客や隣接の業界に津波のようなショックを誘発する。

 経営者はこうした連鎖反応を今から予見し、打つ手を考えるべきだ。各事業の収益力の強化だけでは不十分だ。売却、買収、提携など選択肢は広い。打つ手の選択の基準は、もちろん「企業価値の最大化に貢献するか否か」である。

 欧州の化学業界では、約4〜5年前から「企業価値の最大化」に向けた経営への大転換が始まった。徹底したリストラ、ありとあらゆる組み合わせの合従連衝、そして国境を超えた大規模な合併が次々に起きた。

 以下では、なぜ、保守的な欧州企業が急にそうなったのか、またその成果と大転換のプロセスを紹介する。欧州をモデルに、「そのとき」に向けたイメージトレーニングをしてみたい。

かつてない欧州化学業界の構造変化

 欧州の化学会社、特にヘキスト、バイエル、BASFなどドイツの企業は保守的な経営で有名だった。だが、約4〜5年前から大きな変化が始まった。1つは大規模なM&A、もう1つは徹底した事業構造の再構築(リストラクチャリング)である。

 167ページの図は、全世界の化学業界のM&Aの総額を示したものである。1995年の時点では、年間の売買総数はわずか36件で、売買総額も58億ドル(約7000億円)だった。ところが、3年後の98年には件数は2倍弱の63件、売買総額は約10倍の553億ドル(約6兆5000億円)にまで伸びた。注目すべきは、欧州案件の急増である。98年では、売買総額の約4割を欧州案件が占め、欧州での業界再編の加速を裏付けている。もちろんM&Aと同時に、事業構造の再構築も進んでいる。

全面組み替えか、徹底改善か

 昨今の欧州化学企業の構造改革は、2つのタイプに大別できる。

 タイプA:大型M&Aで事業分野の全面組み替えを図る。例えば石油化学を完全に捨て、スペシャリティー化学やライフサイエンスに特化する(ヘキスト、インペリアル・ケミカル・インダストリーズ=ICIなど)。

 タイプB:事業ポートフォリオは、おおむね現状を維持する。ただし、各事業の株主企業価値を上げるために、徹底した収益改善活動や、個別の商品事業レベルでの小型のM&A、競合との合弁をこまめにやる(BASF、ヒュルスなど)。

 2つのタイプの違いは、戦略の基本スタンスの違いに由来する。すなわち、ライフサイエンスなどの成長分野に賭けるのか、むしろ石油化学などの「残り福」を狙うのか。あるいは構造改革を猛スピードで行うのか、足りない技術や人材を自力で育てるのか、といったアプローチの違いである。

<事業ポートフォリオの全面再構成──ヘキストの例>ヘキストは、押しも押されもせぬドイツの名門化学会社。だが、まもなくその社名は消え、アベンティス(Aventis)というライフサイエンス企業に変身する。

 ここ5年間の事業の売却、そして買収のプロセスはすさまじい(下の図参照)。94年から今年までの間に、全事業の78%(94年の全社コスト換算比)の事業を売却するか、競合との合弁事業(JV)に移してしまった。一方、マリオン・メリル・ダウ(製薬)などを買収し、整理した事業の半分以上(94年の全社コスト換算比で38%分)に相当する事業を買い足した。

 最後の仕上げが、フランスのローヌ・プーランのライフサイエンス部門との合併で、本年末にこれが完了すると、売り上げが約2兆2300億円のライフサイエンス企業となる。売上高営業利益率も4.6%(94年)から12.4%程度に上がると見込まれる。

 注目すべきは、この5年間の事業転換で売り上げが3割減ったにもかかわらず、株式時価総額は2.27倍(今年8月時点)に増加していること。企業の価値は、「量(規模)より、質(事業の将来性)」で決まる、という典型例である。

 169ページのグラフは、94年から今年まで5年間の欧米の大手化学4社の株主企業価値の伸び率(年平均ベース)を分析したものである。

 ヘキストの場合、年平均23.6%という高率で株主企業価値を増大し続けている。資本調達コストに相当する13.2%を差し引いた残りが、企業の自助努力による上昇分である。その大半(図の中の9.2%分)は、将来のライフサイエンスに対する市場の期待に由来する株価の上昇からもたらされており、現行事業の健闘による分(図の中の1.2%分)はわずかでしかない。

 ヘキストは、このような戦略転換を積極的なIR(投資家向け広報)活動で明言し、投資家の期待を一気に高めた。そのことで株価を上げ、また他社の買収に際して、有利な立場を獲得した。

 同じような大転換の例が米国のモンサントである。同社の場合も、ライフサイエンスへの特化という経営姿勢に対する期待が株価の上昇を招き、結果として、ヘキストを上回る年率32%もの株主企業価値の上昇を生み出している。

 ちなみに、97年のモンサントの年次報告書は、全ページにわたって、バイオの重要性を訴えている。それによると、今日、遺伝子情報を解析利用する能力は、12〜24ヵ月ごとに倍増。これは、ちょうどシリコンチップの計算能力の倍増と同じペースで、いずれ人類の生活を激変させる、と説く。やはりIRが徹底している。

<現行事業の収益改善を徹底──ヒュルスの例>ヒュルス(Huls)は、コモディティーもスペシャリティーも幅広く手掛ける典型的なドイツの名門化学企業だった。だが、ここ6〜7年は個々の事業の中身を精査し、「磨き上げて保有するもの」「他社へ譲る事業」「他社から取ってきて強化する事業」の3つに分けて、スピーディーな収益改善に取り組んでいる。

 ヒュルスは、92年の時点では、売上高は約7930億円。これに対して、コストが約8240億円。マイナス3.9%の営業利益率というありさまだった。新任の最高経営責任者(CEO)は、まずコスト構造の改善に手をつけた。

 第1に、不採算事業を売却した。これは東独の合成ゴム企業ブナやスチレン系の事業である。残った事業は徹底的な効率改善をやった。同時に、伸ばしたい事業を他社から買収した。フェノール樹脂、潤滑油添加剤などの事業である。競争力のない事業を切り捨て、得意分野をよそから買ってくる、という正攻法である。

 仕上げとして同規模のデグサ(Degussa)と合併し、一気に事業規模を拡張した。その結果、99年の時点では、1兆7009億円の売り上げと4.3%の営業利益率を確保した。わずか7年間の間に、赤字会社の営業利益率が約8%も改善した。

 このようなリストラクチャリングの正攻法をマッキンゼーでは「シュリンク・トゥ・グロー・モデル」と呼ぶ。不採算の事業を削り(シュリンク)、成長分野を伸ばしていく(グロー)。

資本市場の競争激化が背景に

 さて、日本の化学企業も、こうしたリストラクチャリングに手をつけている──はずである。が、筆者は、そのやり方に大きく2つの問題があると思う。

@シュリンク、つまりコストの削減をだらだら続けてしまっている。一気呵成にやって、さっさとグロー(成長)に移行しないケースが多く、士気が上がらない。

A自前主義の発想が強く、シュリンク(削る)はやれても、グローのタネが足りない。買収案件にしても、投資銀行から持ち込まれて初めて検討する場合が多い。いうまでもなく、持ち込み案件は割高である。あるいは、せっかくの買収案件に直面しても、ヒュスルがデグサを買収したときのような、攻めの成長戦略があらかじめ描けていないため、意思決定が遅れだちだ。

 さて、ドイツの化学会社の大変身の背景には、どのような要因があるのだろうか。

 第1は、資本市場の構造変化。これは、約5年前から始まった。国内で閉じていた各国の資本市場が、ユーロ市場の形成、あるいは米国への資本の流出で、海外競争にさらされだした。また、ドイツ銀行がトラベラーズグループと合併したりして、ドイツの金融機関の経営スタイルが米国型の投資リターン重視の経営に変わった。

 第2の要素は、欧州連合(EU)の統合である。EU統合をきっかけに国境を超えた合従連衝が現実化した。

 第3に、新しいタイプのCEOが登場した。資本市場から、「企業価値がすべて」というシグナルが出るやいなや、ヘキストのユルゲン・ドルマン氏やヒュルスのエルハルト・マイヤガロー氏といった経営者が、大胆な戦略転換を率先して行った。それがさらに競合各社の行動パターンを変えた。他業界からの刺激もあった。例えば、ダイムラーのシュレンプ会長やドイツ銀行のブロイヤー頭取といった、グローバルスケールで卓越した経営者が出てきた。

 このような努力の結果、欧州の化学企業は主要8社の平均で、実に年率17%のペースで企業価値を上げてきた(上のグラフ参照)。投資家にも経済界にも「化学産業は斜陽産業」という見方は皆無だ。

 欧州で起きたことが日本でも起きるという保証はない。だが、日本に似た保守的な社会、企業風土のドイツで、これだけのことが起きた。

日本でも2〜3年内に未曾有の再編劇

 日本でもあと2〜3年で、欧米並みの資本市場が形成される。すると日本の化学業界でも欧州のような業界再編が始まる。これまでは三井、三菱、住友などの財閥系列内での再統合や事業の組み替え程度だった。だが今度はすべての企業を巻き込んだ再編が始まる。

 こうした合従連衝の際に、主体性を持って生き残れる企業になれるか、それとも身売りに終わるかで、いわゆる「勝ち組」「負け組」が決まる。

 日本の化学企業は、信越化学工業や東ソーなどを除けば、どこも中途半端な「総合型企業」となっている。下位の上場化学会社もたいがいが石油化学の一部を持ち、樹脂を持ち、あるいは電解プラントをどこかでオペレーションし、といったミニチュア版の三菱化学となっている。これが崩れてくる。

 世界に目を転じれば、化学業界の合従連衝は、垂直統合(原料メーカーとそれを利用する製品メーカーの一体化)よりも、同一業界内の水平統合が主流だ。91年以来の全世界の化学業界のM&Aの合計は300件ある。マッキンゼーが分析したところ、この9割が水平統合だった。合従連衝は各製品分野ごとに起きるだろう。各製品分野の上位の3〜5社のシェアが伸び、下位は脱落していく。

 さらに外資企業が入ってくる。すでにポリプロピレン(PP)樹脂の分野で昭和電工はモンテル(オランダ)と組んだ。国内の「業界」だけでなくグローバルな勢力地図を想起すべきである。

 さて、このような「戦いの果て(エンドゲーム)」に最終的に生き残れる企業はどこか。

 実は、最近の株主企業価値の動向をみれば、ある程度、想定できる。「勝ち組」への王道は、生き残れる事業に集中的に資源を投入する。同時に先細りの事業は競合他社に早めに高値で譲渡する。そして積極的に合併交渉をリードすることである。

 なお、最後の勝者は、三井化学、三菱化学のような財閥系とは限らない。規模(売り上げ)の大きさと、企業価値は比例しない。「総合力を追求する」といった曖昧な方針だと、企業価値は下がる。逆に、中堅の独立資本の化学会社は、捨て身で大胆に動きやすい。飛躍のチャンスがあり、楽しみだ。

 どこの企業にも高い価値のある事業があるはずだ。その事業価値を最大限まで高める方策を考える。なかには、提携やM&Aの選択肢も見える。相手は国内企業とは限らない。日本でも、やがて化学産業の無数の製品分野でこうした見直しのプロセスが始まる。そして、その結果として、未曾有の規模の合併や業界再編が起きてくる。

(うえやましんいち)